Kanonは「心地よい選択のできる世界をつくる」をミッションに、クリエイティブの制作を行うベンチャー企業です。
人生は常に選択の連続。1つの選択が明日の自分をつくり、時に運命さえも変えてしまう。その1つ1つの選択に納得感を持てる人が増えたら、そしてその選択が誰かの笑顔に繋がるとすれば、人々の幸福度はあがり、幸福の連鎖を生み続けられるのではないかと私たちは考えます。
今回は、フリーランスのデザイナーとして数多くの企業・チームで活躍し、Kanonの主軸事業であるKanon Creators(クリエイティブ制作事業)でもさまざまな制作を担ってきた、みきさんにインタビュー。 ※2024年2月取材
未経験から独学でデザインを学び、時に“ドン底”を味わいながらも、自分の「やってみたいこと」に挑戦し続けてきたこれまでのストーリー、そしてこれからについてお話を伺いました。
福岡から上京し、東京で新たなスタート
ーー まずはじめに、自己紹介をお願いします。
みきと申します。1年半ほど前に拠点を東京に移し、フリーランスのデザイナーとしてチラシやパンフレットなどの紙媒体からLPやバナー制作などのWeb媒体まで幅広くデザインをさせていただいています。
出身は山口県で、大学進学から就職後まで約12年間、福岡県に住んでいました。
ーー 福岡から上京された経緯を教えてください。
ライフスタイルに変化があったタイミングで「新しい場所に行ってみようかな」と思いはじめたのが最初のきっかけです。
当時、すでにフリーランスのデザイナーとしてリモートでお仕事をしていたのですが、取引先のほとんどが東京の方でした。それもあって、たまに出張で東京に訪れていたのですが、そのたびに「なんて魅力的な街なんだろう♡」と刺激をたくさん受けていたんです。会う人、話す人、みんな面白くて。
特に福岡に残る理由もなかったので「新しい場所で人生をやり直そう」と上京しました。
教育関連、アパレル業界…さまざまなキャリアを経て
ーー もともとデザインに興味を持ちはじめたのはいつですか?
何がきっかけだったんだろう。
学生時代に、ケータイでできる無料ブログサイトの「デコログ」というものが流行っていましたよね。当時みんなが「ブログに何を投稿しようか?」と楽しんでいたころ、私はそれ以上に「コードを使ってブログの見た目をどう整えるか?」にハマっていて。(笑)
当時から、“デザインをする”ということが好きだったのだと思います。
あとは、新卒で専門学校に就職し、広報の部署に配属になったことで、毎日のようにパンフレットを手にしたり、オープンキャンパスの案内DMを印刷会社に発注したりと、自然とデザインというものに触れていきました。
ーー ですが、大学の専攻と卒業後の就職先は、今とは全く異なる分野だったんですよね。
はい、大学では心理学を専攻していました。同時に教育学も学んでいて、たまたま専門学校について研究している先生のゼミに入ったんです。
そこで専門学校の生徒たちとはじめて接点を持つことになったのですが、当時「高校生のうちから自分のやりたいことを決めている子たちがこんなにもいるんだ!」とすごく衝撃を受けました。その後「そういう若い子たちをサポートしたい、もっと増やしたい」という想いで、専門学校への就職を決めました。
ーー 専門学校での学生支援は、どのくらいの期間、やられていたのですか?
約4年間です。その後アパレル業界に進みました。専門学校で「好き」や「なりたい」に一生懸命な子たちを見ていて、影響されたんでしょうね。当時、私は25歳だったのですが「私も好きなことを仕事にしてみよう!」と挑戦をしました。
ただ、実際はアパレルといっても本社での内勤だったので、主な業務はパソコンでの受注処理など。「この仕事って、自分じゃなくてもだれでもできるな…」と思う自分もいました。
お金も知識もない…デザイン未経験からの独学で“地獄”も味わった
ーー アパレル時代を経て、デザイナーに転身されたんですよね。どうしてデザインに行き着いたのでしょうか?
アパレル時代の終盤は、ちょうどコロナ禍で在宅勤務をしていたのもあり、家でできる仕事に魅力を感じはじめていました。改めて過去の棚卸をした時に昔から好きだったものが、デザインにまつわるものが多く、そこに行き着いていった感じですかね。まぁ、そこからが“地獄”の始まりだったのですが…
ーー ええ!?“地獄”というのは…?
未経験からデザインを学びはじめたのですが、私の場合、働きながら学ぶのではなく、一旦退職してからの完全独学スタートだったんです。
未経験転職を繰り返していたので当然お給料が少なく、またそもそも地方は都心に比べて賃金も安い。おまけに貯金もほとんどなかったので、デザインスクールなどには通えませんでした。無料で学べるようなYoutubeやTwitter(現X)を通じて勉強をはじめました。
更に当時の私は「やらなきゃ、やらなきゃ」と常に焦っていて、毎朝起きるたびに動悸、息切れが…。心理学を学んでいたので自分の精神状態がおかしいことはわかっていたのですが、「自分が手を動かすしかない、変わるしかない」という想い一心でした。
その後、フリーランスとして軌道に乗りはじめてからも、苦い経験がありました。業務委託提携を結んでいた制作会社から正規雇用のお話をいただき、一度フリーランスから正社員になったのですが、会社の経営が立ち行かなくなり給料未払いに…。
貯金もなく生活苦でしたし、当時は恥ずかしさと惨めさで、誰にも打ち明けられませんでした。(笑)
ーー そんな経験をされていたのですね。ちなみに独学で勉強をはじめてから、どのタイミングで「これを仕事にしていこうと動き出せたのですか?
勉強をはじめて2ヵ月ほど経ち「そろそろ動き出さないと自分の気持ちが持たないかもしれない」と危機感を感じ、まずは大手クラウドソーシングサイトに登録しました。
まず簡単なバナーデザインやチラシなどを受注し、一旦はお金に拘らず無我夢中に数を熟(こな)していったところ、気付いたら1ヶ月ほどで20万円くらい獲得できていて。「これは、行けるかもしれない…!」と明るい未来が見えてきました。
ーー さすがです!それからずっとフリーランスのデザイナーとして活動されていたのですか?
半年ほど続けた頃、当時デザイナーを探されていた一人社長のコーダーさんと出会い、継続的にお仕事をご一緒させていただくことになりました。
そこで、ある専門学校のパンフレット制作のコンペに出ることになり、既存パンフレットの制作会社、新規となる別の印刷会社、そして私たち3社での戦いでした。
まだまだデザイナーとしての経験は浅かったですし、当然自信もなかったのですが…。私が唯一、他社に勝てるところといえば「過去に専門学校に勤め、大量の学校パンフレットを見てきたこと」でした。本当に数多くのパンフレットに目を通していたので。(笑)
既存パンフレットから足りない箇所をピックアップし、そのパンフレットを使う営業さん目線での使いやすさも考え、当日のプレゼンに挑みました。デザインでは勝てないかもしれないけど、“経験”で勝とう!と!
結果、そのコンペでまさかの案件を勝ち取り、それが自分にとって初めての大型案件でした。
ーー かっこいい!!みきさんの過去の経験が、勝利に繋がったんですね。これまで目の前にある仕事や出会った人に対して、一つずつ丁寧に向き合ってきたからこそですね。
そうかもしれません。これまで未経験転職を繰り返してきたことって、自分の中でコンプレックスだったんです。でも色々な所を転々とした経験がはじめて“線”で繋がった経験でした。
ーー どんな状況であったとしても、その中で“どう戦っていくか”を常に試行錯誤されていましたもんね。
そうですね。専門学校に勤めていた頃もベテランの先輩たちに囲まれた環境だったので、常に「私にしかできないことって何だろう?」と考えていました。他の先生たちよりも学生たちと年齢が近いからこその「話しやすさ」であったり、直近で就活を経験している私だからできる「言葉掛け」だったり。それが“私の強み”だなと。
昨今デザイナーという職業は、私のように異業種から未経験で入られる方も多い印象ですが、他業種から学んできたことをどう活かすかによっては、むしろ劣らない唯一無二の“強み”を見出せるのだと思います。
「やってみたいこと」に挑戦し続けられる原動力とは
ーー いま、デザイナーとしてのキャリアは4年になりますが、みきさんにとって今後の展望をお聞かせいただけますか。
ちょうど去年末あたりから、「もっと他のことにも挑戦してみたい」という気持ちが湧いてきていて。一本の道を突き詰めるというよりかは、今はまだまだ色々な経験や知識を身につけたいと思っています!
そこで新しく「イメージコンサルタント」の勉強をはじめました。
ここ数年よく耳にする、カラー診断・骨格診断といったものだけでなく、その人が本来持つ内面の魅力、声や立ち振る舞いも含めて、どうしたらその人の魅力が最大限に発揮されるかというのをプロデュースする仕事なんです。
その過程で「どういう自分で在りたいか」を深堀りしていくのですが、これまで培ってきた心理学やカウンセリングのスキル、またアパレル業界でのファッションやデザインの知識など、過去の経験が活かせそうで「すべて、これに繋がった…!」と思わずにはいられませんでした。(笑)
実際に学びはじめてからも、色・形・素材が持つイメージやブランディングの知識が、今やっているデザインの仕事にも繋がる感覚がありました。
今後は、今のデザインの仕事も、イメージコンサルタントも両方やってみたいです!そしてまたパワーアップした自分になりたい!とワクワクしています。
ーー 正直、今のみきさんってデザイナーとして生活や収入も安定してきて、“もう十分満足している”とも捉えられると思うのですが、そこから敢えて、新しい学びに挑戦する原動力はなんですか?
なんだろう…体育会系かもしれませんが、私「現状維持は衰退だ」と思っていて。(笑)ずっと安定しているものって、私にはつまらなく感じてしまうんです。
あとは、一度“ドン底”を見ているから、何度でも這い上がれるという自信はありますね。“地獄”を経験したからこそ、人の気持ちに寄り添えるし、その方が人間味があって魅力的だなと思います。
Kanonにはそういう魅力的な人が多い気がします。(笑)
Kanon Creatorsに参加して感じたこと
ーー みきさんがKanon Creatorsに加わったのは、3年前くらいですよね。最初のきっかけやKanonに対する第一印象について教えて下さい。
あの頃は、とにかく人の繋がりを増やそうと思っていて…紹介でKanonのWebディレクターである安達さんと出会い、話をしたのが最初のきっかけです。
Kanonへの第一印象はあたたかみのある会社だなと思いました。
ーー Kanon以外でも業務委託など数多くの企業とお仕事をされているかと思いますが、Kanonに感じる会社の特色や、お仕事のやりがいはありますか?
1年前に参加したKanonの1周年パーティーで加奈さん(代表)が話していた「ここにいる誰1人欠けても、今のKanonは成り立っていないです」という言葉がジーンと胸に響いたのをすごく覚えています。
業務委託って「所詮は委託」「替えの人間なんていくらでもいる」というスタンスの会社が多い中で、この一言は、きっとあの場にいたクリエイター全員がめちゃくちゃ嬉しかったと思うし、これからもここで頑張りたい、と思ったはずです!
あと、加奈さんが以前に「お客様はもちろんだけど、クリエイターさんがいかに働きやすい環境にできるかをついつい私、考えちゃうんですよね〜」と笑いながら話していたのが印象的でした。
クリエイターは、時に“コマ”として扱われることもありますが、Kanonはきちんと一人ひとりに向き合ってくれているのがわかります。
その方が、クリエイター自身も「お客様にとってより良いものをつくろう」と前向きな気持ちになれると思います。
ーー ありがとうございます。クリエイターを大切にすることは、お客様を大切にすることにも繋がっているのだと思っています。
地方出身や在住のクリエイターも多いですが、「手段がわからない」「環境がない」という人材を引っ張り上げてくれるのが、Kanonだと思っています。そういう人にこそ、おすすめしたい会社です。
Kanonのミッション「心地よい選択のできる世界をつくる」について思うこと
ーー 最後に、みきさんにとっての「心地よい選択のできる世界」を教えてください。
うーん…「好き」や「自分らしい」をどれだけ自分の周りに集められるか、でしょうか。
地方から上京して、東京には選択肢がいっぱいあるなと感じました。でもみんな、どこか心地よくなさそうだな…という違和感も同時にありました。
それでいうと、Kanonの人たちは、自由ですよね。一見マイペースだったり、のんびりしているようにも見えるけど、それとはまた違う。
それぞれの「好き」や「こだわり」を追求しているというか…それが“心地よさ”なのかもしれない。
ーー みんな、良い意味で“他人からの影響を受けない”マイペースなメンバーが多いですね。(笑) ご自身の好きに素直に行動しているメンバーが多い印象です。とはいえ世の中には「自分の好きがわからない」という方もいると思います。みきさん的に「自分の好き」に気付くコツはありますか?
何かしらのきっかけは必要だと思います。人に会うとか、そのために自分の足で探しに行くだとか。私もそうだったから分かるのですが、目の前の生活に追われてしまうと時間ばかりが過ぎてしまいますよね。
だからこそまずは「このままで良いのかな」と疑問を持つことがはじめの第一歩だと思います。そこからさらに調べてみる、行動してみるといった第二歩、第三歩を踏み出せることが大切になっていきます。
不安って、見えないから不安だと思うんですよね。でも見えないものに対して漠然とした不安を抱く時間って、あとから思い返すと無駄というか。だったらやってみればいいじゃん!と。
そして、その漠然とした不安を解決するためには結局、行動するしかないと思うので「どうしたら良いか?」を常に考えていけば良いと思います。
私も「自分にとっての“心地よい選択”」を今後も追求していきたいと思います。